マーキー・ラモーンことマーク・ベルは、伝説的バンド・ラモーンズのドラマーとして15年間活躍したことで、知られている。ラモーンズに入る以前、高校時代のブルックリン出身のハードロックバンド、DUSTに始まり、数々の影響力のあるミュージシャンとプレイしている。
DUSTは、友人のリッチー・ワイズ(Vo/G)と、ケニー・アーロンソン(b)とで、ニール・ボガートのレーベルKarma Sutra/Buddhaから、2枚のアルバムを出している。
DUST解散後、DJであったウェイン・カウンティと知り合い、Wayne County and the Backstreet Boysを結成。ウェインの例を見ないステージパフォーマンスで、カルト的ファンを魅了した。1年半ニューヨークを拠点にプレイしたが、レコード会社の目にとまることはなく、解散に至った。
1976年にリチャード・ヘルに紹介されたマークは、ボブ・クイン、アイヴァン・ジュリアンと、The Voidoidsを結成。1997年に、Sire Recordsから「Blank Generation」にて、デビューを飾る。The Clashとの歴史的UKツアーを行ったあと、CBGBにてDee Dee Ramoneと出会う。Dee Deeから、The Ramonesへの誘いを受ける。
1978年春、マーク・ベルは、マーキー・ラモーンと改め、The Ramonesとの、「I Wanna Be Sedated」も収録した、初めてのアルバム「Road to Ruin」を、スタジオにてレコーディング。同じ年、レコーディングした「End Of The Century」ではプロデューサーのPhil Spectorが参加した。
数回のツアー後、2枚のアルバムを出し、マーキーは、1983年バンドを脱退。1987年に、再び参加する。The Ramonesには、約15年在籍し、「Mondo Bizarro」 や「Adios Amigos」等も含み15枚以上をリリースした。
2000年に、長年の友人Joey Ramoneのソロ"Don't Worry About Me"に参加。2001年、The RamonesはRock'N' Roll Hall of Fameの殿堂入りを果たす。マーキー自身が撮影した、DVD「Raw」は、ビルボードのビデオチャートで5位を飾る。3カ国で、ゴールドを記録し、The RamonesのDVDリリースの中で、ベストセラーとなる。
マーキーは、世界でのツアーを続け、とどまることを知らない。2008〜2009年に、フィルフィガーデニムと共に、初のクロージングラインを始める。また、2009年にマーキーの全キャリア、生活を記したドキュメンタリー「“The Job That Ate My Brian」が、リリースされる予定。現在、シリウスサテライトラジオで、ホストを務める"Marky Ramone's Punk Rock Blitzkrieg"が4年目を迎える。