MADINA LAKE
シカゴ出身。2005年結成。双子のネイサン・レオンとマシュー・レオンは当時THE BLANK THEORYというバンドで活動しており、マテオ・カマルゴとダニエル・トレリはREFORMAというバンドでそれぞれ活動をしていたのだが、よく一緒にツアーをしていた事もありお互いに非常に良い関係を築いていく。それぞれのバンドの状況にイマイチ乗り切れなかった彼らは一緒に新たなバンドを結成することを決意、そして2005年にMADINA LAKEを結成する。ちなみにこのバンド名は、マシューが作った物語の中に存在する架空の街の名前でもある。
2005年5月21日にMADINA LAKEとして初めてステージに立ちその手ごたえを感じたネイサンとマシューは、バンドの活動資金を得るためにテレビの人気番組『FEAR FACTOR』の双子大会に出演、ヘリコプターから中吊りになったり牛の内臓で出来たプールで泳いだり、塹壕をよじ登るなど危険なゲームに参加し、見事優勝、US$50,000の賞金を獲得し、その賞金をデモ音源のレコーディング費などに使い、バンドとしてより大きな活動をするべく準備を始めていく(ちなみにこの番組出演中、参加したゲームのせいで伝染病にかかり、危うく命を落としそうにもなったという)。そして2006年8月、自主制作という形でEP『THE DISAPPEARANCE OF ADALIA』を発表、同時にRoadrunner Recordsとの契約も獲得し、そのチャンスを自らの強い意志と力で手にしていく。
まずバンドはロサンゼルスへ向かい、マーク・トロンビーノ(JIMMY EAT WORLDやFINCH、BLINK 182との仕事で知られる)をプロデューサーに迎えてアルバムのレコーディングに取り掛かる。そして2007年3月、デビュー・アルバム『FROM THEM, THROUGH US, TO YOU』を発表、そのアップビートでポップなサウンドとエッジの効いたアグレッシヴなスタイルはロック・ファンの心を捕らえ、一躍世界的に注目されるバンドとなる。バンドはアルバム発表前にHALIFAXらと共に全米をサーキット、いわゆる「バンドお披露目ツアー」をスタートさせた彼らは、アルバム発表後もFIGHTSTARを従えたヘッドライン・ツアー、PAPA ROACHとのツアーなど精力的にツアーを続けていく。中でも新人バンドでありながらLINKIN PARKからの直接の誘いを受けて出演したProjekt Revolution Tour 2007への出演は、彼らの人気を一気に全米中のみならず世界へ知らしめたポイントとなるだろう。同年8月にはSummer Sonic 07出演のため初来日を、そして11月には早くも初単独来日を果たし、そのルックスの良さとキャッチーかつエッジの効いた楽曲&パフォーマンスで日本のキッズからも熱い支持を得るようになる。そしてMADINA LAKEはこのデビュー・アルバムの発売によりアメリカよりもまず先にイギリスとここ日本でブレイクを果たし、イギリスではKERRANG!誌のKERRANG! AWARD 2007にて「ベスト・インターナショナル・ニューカマー」を受賞するなど、その人気を決定づけていく。
その後もバンドはアメリカをSTORY OF THE YEARやAIDENと、ヨーロッパではPARAMOREやCOHEED AND CAMBRIAといったバンドと何度も世界をサーキットし、その人気を更に大きくしていく。2008年3月にはニュージャージーでのBamboozle Festivalへの出演、オーストラリアのSoundwave Festivalへの出演、6月にはイギリスのDownload Festivalのメイン・ステージへの出演、さらにはWarped Tour 2008へのメイン・ステージでの出演と、さらにそのステージ規模を大きくしながら数え切れないほどのステージをこなした彼らは同年秋から次なる作品の準備へと取り掛かっていく。
バンドは新作のプロデューサーにデイヴィッド・ベンデスを起用(KILLSWITCH ENGAGEやBREAKING BENJAMIN、RED JUMPSUIT APPARATUSやPARAMOREなどを手掛ける)、ニュージャージーにある彼の所有するHouse Of Lords Studioにてじっくりと制作を続け、2009年4月、PUNKSPRING09への出演を経て、2ndアルバム『ATTICS TO EDEN』を発表。