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1990年にシンガー/ギタリストNICK HEXUM、シンガーのS.A. MARTINEZ、ギタリストのTIM MAHONEY、ドラマーのCHAD SEXTON、そしてベース・プレイヤーのP-NUTの友人同士5人で結成された。91年にCAPRICORN RECORDSと契約した彼らは、レーベルの本拠であるLAに活動のベースを移した。92年の“MUSIC”、93年の“GRASSROOTS”、95年の“311”はアルバム・チャートも最高位12位を記録し、300万枚を超えるなど、大ヒットアルバムとなった。ノンストップの全米ツアーが続く96年、バンドは映像作品である「ENLARGED TO SHOW DETAIL」をリリース。KANSAS CITYやDENVERでの野外ライヴの模様や、ツアー中のオフショットなどを収めたこの作品がミリオン・セラーとなり、ファンとバンドとのユニークな関係を印象付けた。1997年「トランジスター」をリリース。ツアーはワールド・ツアーとなり、バンドが人もうらやむような、大きな、素晴らしいファンベースを築いていることを証明した。「俺達が最初にバンドを始めたとき、なにか凄いことが起こると確信してたんだ。」とドラマーのチャド・セクストンは言う。「そしてそれ以来、決して後ろを振り返ったりしてない。前進あるのみさ」。1998年に「LIVE」をリリースし、その一年後にはSoundsystem, From Chaosを2001年夏にリリースし、再びシーンに帰ってきた。
The Academy Is...
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The Academy Is...
イリノイ州シカゴ出身の5人組。
LLR Recordingから2003年リリースされたEPがFall Out Boyなどを抱えるFueled By Ramenの目に留まり翌年契約、2005年2月には1stアルバム”Almost Here”を発表、Fall Out BoyのキャッチーさとJimmy Eat Worldのセクシーさを併せ持つ傑作は瞬く間に人々の心を惹きつけ、セールスは既にアメリカでインディでは異例の10万枚以上を記録し、開催されるライブは全てソールドアウトと言う大人気状態となる。ここ日本でも2005年9月にFall Out Boyとともに来日予定だったが、やむなくキャンセルとなり幻の来日となった。2006年秋にはメジャーデビューも控え、遂に念願の来日を果たす彼ら!!その甘いルックスとは全くかけ離れた炸裂のライブパフォーマンス必見!
BAD RELIGION
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BAD RELIGION
世界最大のインディ・パンク・レーベルEpitaphと、アメリカン・ニュー・パンク/メロディック・パンクの立て役者BAD RELIGIONが密接な関係にあることは今や周知の事実だが、'80年に活動を開始したBAD RELIGIONが自らのレコードをリリースするため、ギタリストのブレット・ガーヴィッツ(現エピタフ社長)が中心となって翌81年に設立したレーベルがEpitaphである。 82年デビュー・アルバム「How Could Hell Be Any Worse?」をリリース。そしてバンド曰く”失敗作”の幻の2nd「Into The Unknown」後、数々の問題で約5年ほど活動を休止する。'88年元CIRCLE JERKSのグレッグ・ヘトソン(g)を迎えて5人編成になり3rd「Suffer」を発表。その後毎年コンスタントに作品を発表し続けるが通算7th「Recipe For Hate」を最後にバンドはメジャーへ移籍、8th「ストレンジャー・ザン・ヘイト」でブレットも社長業に専念するためバンドを脱退と、BAD RELIGIONとEpitaph&グレッグは別々の道を歩み始めた。ブレットの後任として元MINOR THREAT〜DAG NASTYのブライアン・ベイカー(g)を迎え'96年9th「The Gray Race」、'97年10th「No Substannce」発表とバンドは活動を続けるが、'00年11th「THE NEW AMERICA」ツアー中にボビー(ds)が肩を痛めて活動を続けられなくなり脱退、替わって元THE VANDALS〜SUICIDAL TENDENCIESのブルックス(ds)が加入した。02年に古巣レーベルEpitaph復帰 & オリジナル・ギタリスト/Epitaph社長ブレット・ガーヴィッツ復帰で、歴史的名盤12th「The Process Of Belief」をリリース。続けて世界中のパンク・キッズが涙した、Epitaph復帰第2弾となる通算13thがついにドロップ!80年のバンド始動から20年以上も第一線で活躍し続ける彼らはまさにアメリカン・パンクの王者なのだ。
BEAT CRUSADERS
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BEAT CRUSADERS
メンバー全員、公の場では張りぼてチックなお面をあてがって登場し、決して素顔を見せない。シモネタ爆発。そんな彼らは99年、1stシングル「ネバー・ポップ・イナッフ e.p.」でシーンに現れ、パンク/メロコア/スカコアをすべてぶち込んで作り上げたパワーポップを展開。ラウドなギターが鳴り響くなか、センチメンタルなメロディが押し寄せる楽曲は、ウィーザーのようなバンド像を彷彿させ、耳の肥えた洋楽リスナーにも高い支持を得た。また同年のコンピ盤『特撮狂』で「秘密戦隊ゴレンジャー」をカヴァーするなど茶目っ気もたっぷりだ。以降、スタジオ・ワークと共に精力的なライヴ活動を展開し、01年にアメリカ西海岸ツアー、02年にはオーストラリア・ツアーも行なっている。4枚の名アルバムを発表し、ミュージシャン/リスナーからアツい支持を獲得していたビークル。ヒダカトオル(vo&g)、クボタマサヒコ(ba)、カトウタロウ(g)、マシータ(dr)、ケイタイモ(key)の5人編成になってシングル(限定盤含む)を2枚リリースした後、05年6月にはメジャー・デビューを果たし、大人気バンド漫画をアニメ化した『BECK』の音楽監修を担当するなど、仮面の下に隠した才能が大爆発している。
ELLEGARDEN
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ELLEGARDEN
98年に千葉で結成されたELLEGARDEN。作品としては、02年に1stフル・アルバム『DON'T TRUST ANYONE BUT US』を、翌02年には2nd『BRING YOUR BOARD!!』を、04年には3rd『Pepperoni Quattro』、05年には4th『RIOT ON THE GRILL』と、順調なリリースを重ねている。それらどのアルバムでも、オーセンティックだがメロディックでエナジェティックな快活ロック・サウンドを展開。(ある意味驚異的なまでに)多くのライヴをこなしてきた経験をギュッと凝縮したような粒揃いの楽曲群を披露している。ELLEGARDENはそんな要注目の才気溢れる4人組である。
THE LIVING END
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THE LIVING END
'98年の『リヴィング・エンド』からは「プリズナー・オブ・ソサエティ」、「セカンド・ソリューション」。'00年の『ロール・オン』からは「ピクチャーズ・イン・ザ・ミラー」、「ロール・オン」と確実にヒットを飛ばしてきたリヴィング・エンド。しかしクリスの自動車事故、ドラマーの脱退など度重なる危機がバンドを襲う。しかしロックの女神はリヴィング・エンドを見放さなかった。彼らを再起へと駆り立てたのは、ファンの声援だった。オーディションにより新ドラマーが加入し2003年にレコーディングを開始。彼等はバンド以来の危機を乗り越えて2001年サマーソニックで復活!その後、『モダン・アーティナリー』のリリースで彼らは原点回帰を果たすとと共に、その音楽的多様性を推し進めた、記念碑的な作品と言えるだとう。グリーン・デイが『ウォーニング』でメロディック・パンク・バンドとしての殻を打ち破ったように、リヴィング・エンドは新たなバンドとしての方向性をこのアルバムで強烈に打ち出したといえるだろう。彼らの熱心なファンも、まだ見ぬファンも、ロックの奇跡を信じるなら、リヴィング・エンドとの出会いは伝説になるだろう。
MXPX
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MXPX
ハイスクールのクラスメイトだったマイク、ユーリ、そしてトムの 3人がまだ高校生の頃にバンドを結成。高校卒業と同時にノー・ダウトやセックス・ピストルズらのオープニング・アクトを務めるなど、地道ながらも精力的な活動を行いながら、インディーから3枚目のアルバム、『Life In General』では、よりポップでメロディアスな方向へと進み、金字塔を打ち建てた記念碑的作品となった。98年からWARPED TOURに参加、バッド・レリジョンのオープニング・アクトとして彼らのヨーロッパ・ツアーにも同行し、そのままEURO WARPED TOURにも参加する。そして同年、メジャー・レーベルからデビュー・アルバム『ウェイ・オブ・ザ・バッファロー』をリリース、アルバム発表後1年間で200回ものライヴを行い大成功を収める。こういった精力的なライヴ活動がもたらした結果は、メジャー・デビュー・アルバムのゴールド・ディスク獲得、という大記録になった。その後、満を期してリリースしたメジャー・セカンド・アルバム『エヴァー・パッシング・モーメント』では、プロデューサーにランシド、グリーンデイ、ブリンク182らを手掛けたジェリー・フィンを迎え、新たにハードエッジなパンク・サウンドを展開してみせた。またSUMMER SONIC等のフェスティバルやイベントにも出演し、日本での人気も不動のものとしていく。最新作『パニック』をひっさげての昨年のJAPAN TOURも大成功、そしてPUNKSPRINGにて待望の再来日が決定!
PANIC! AT THE DISCO
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PANIC! AT THE DISCO
ネバダ州ラスベガス出身の4人組。Fall Out Boyのライブジャーナルに音源を投稿したところ、偶然フロントマンでありDecaydanceを主宰するPeteの目に留まり、彼がわざわざ砂漠を越えてラスベガスまで会いに行ったという逸材。
その後2005年9月に”A Fever You Can`t Sweat Out”をリリース、ダフトパンクばりのテクノサウンドをアクセントにFall Out Boyの新曲とも思わせるようなキャッチーなサウンドで大ヒットを記録!発売3ヶ月で10万枚のセールスを挙げ、ここ日本でも外資系CDショップを中心に一大ムーブメントを巻き起こし、全国のチャートを賑わせた。そして現在でもその勢いは全く衰えを見せる事なく上昇の一途をたどり、アメリカでは今でも1週間に1万枚のペースでCDが売れていると言う今最も注目を集めている期待の新人!バンド名同様、ライブ会場はディスコ状態と化し、パニックに陥れます!!
PANIC! AT THE DISCO
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TOKYO ONLY
PANIC! AT THE DISCO
1997年、高校生だったハヤシがDEVOに憧れPOLYSICSを結成。
1998年、オムニバスアルバム『TOKYO NEWWAVE OF NEWWAVE '98』に参加。この年、カヨが加入。
1999年、1stアルバム『1st P』でCDデビュー。10月には2ndアルバム『A・D・S・R・M!』をリリース。翌年、キューンレコードよりメジャーデビュー決定。
2000年、マキシシングル『XTC』でメジャーデビュー。その後マキシシングル『each life each end』、アルバム『NEU』をリリースする。
2001年、シングル『NEW WAVE JACKET』、アルバム『ENO』を制作。この年、フミが正式加入。
2002年、ミニアルバム『LO-BITS』、アルバム『FOR YOUNG ELECTRIC POP』をリリース。
2003年、ミニアルバム『カジャカジャグー』、アルバム『Natinal P』をリリース。そして、「SUMMER SONIC 03」に出演し、ハヤシにとって夢だったDEVOとの共演を果たす。メジャー1stアルバム『NEU』をアメリカでリリースし、初の全米ツアーを実施した。
2004年、ベストアルバム『POLYSICS OR DIE!!!!』をリリース。ヤノが加わり現在のメンバーになる。ベストアルバム『POLYSICS OR DIE!!!!』をリリースし、全英ツアーや全米ツアー、韓国のフェスティバルへも出演。
2005年、アメリカでベストアルバム『POLYSICS OR DIE!!!!』をリリースし、全米ツアーを実施。4月に1年8ヶ月ぶりの新作シングル『Baby BIAS』をリリースし、8月には本年2作目のシングル『シーラカンス イズ アンドロイド』をリリースする。そして10月19日には、ニューアルバム『Now is the time!』が発売。それに続いてアメリカ、イギリスでのリリースも決定している。
SUGARCULT
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SUGARCULT
95年、LAを北上したサンタ・バーバラでバンドは結成された。カリフォルニアでの地味なライブ活動が話題を呼び、2001年、1stアルバム『START STATIC』のリリースが実現。同年、USパンク・ロックの登竜門フェス、VANS WARPED TOURに参加。1astシングルとなった『STUCK IN AMERICA』は全米のラジオでもヒット。その後も全米中をツアー、各地で次第に彼らの名前は定着し、アルバムは長期に渡ってビルボード誌のTOP40を上り詰めていった。2002年春、時を同じくして、ここ日本とヨーロッパでのアルバム発売が決定。ラジオ・ステーションの月間パワー・プレイに掲げられ、大ヒットものにしたシュガーカルトは満を持してその姿をやっと日本に現したのが2002年6月。全公演ソールドアウトの単独公演に続きシュガーカルト旋風は止まるところを知らず、その年のサマーソニックに出演。夏の終わりと共に、早速新作アルバムの制作に入る。2004年2月、前作から飛躍してロック度が増した2ndアルバム『PALM TREES AND POWER LINES』は世界に先駆け日本盤が発売される。新作からの1stシングル「MEMORY」を引っさげての2度目の来日公演&秋にはグリーン・デイのオープニングに抜擢され再来日。そして2005年、トヨタのCMタイアップでシュガーカルトがビートルズのポピュラーナンバー「ハード・デイズ・ナイト」のカバーで起用された記憶も新しい。3rdアルバムを来春発売に向けて、現在LAのスタジオで制作に励むシュガーカルト。2006年を再び賑わしてくれること必至だ。
ZEBRAHEAD
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アメリカのカリフォルニア州オレンジ・カウンティのラ・ハブラ出身の5人組。オフスプリングやノー・ダウトを輩出したアメリカ西海岸の街"オレンジ・カウンティ"にて'96年結成。'97年ロサンゼルス・ミュージック・アワードで「ベスト・オレンジ・カウンティ・バンド」を受賞し、'98年、アルバム『イエロー』がインディーズからリリースされるやいなや、ライヴの評判と共にすぐさま話題に。11社ものメジャー・レーベルからオファーが殺到し、争奪戦の末、コロンビアが獲得。'98年11月にメジャー・デビュー作『ウェイスト・オブ・マインド』をリリース。パンク、スカコア、レゲエ、ヒップ・ホップ…すべてがミクスチャーされた独特のサウンドが日本でも注目され翌年4月初来日で全公演ソールド・アウトとなった。'01年2nd『プレイメイト・オブ・ジ・イヤー』をリリース。日本でも同時進行で人気が爆発。'03/'04年にはサマーソニック出演&待望の3rd『MFZB』をドロップ、あっという間にゴールド・ディスクを獲得と、常に話題が絶えない彼ら。昨年暮に起こった突然のジャスティン(vo,g)脱退劇で、一時はバンドの存続も心配されたものの、彼らはやはりスゴかった!メロディー、エナジー、パッション、そして勿論ファニーさも存分に詰まってはちきれんばかりの楽曲群を引っさげて、未来へ向かってフルスロットルで突っ走るシマウマ達の姿をPUNKSPRINGで体感せよ。
ZEBRAHEAD
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OPENING ACT TOKYO ONLY
ZEBRAHEAD
メンバーはトッド(Bass & Backing vocals)ショーン(Drums & vocals)ショーン(Guitar & Backing vocals)ニコ(Lead singer)デビッド(Guitar & Backing vocals)の5人。2002年ベルギーで結成される。最初に制作した楽曲がベルギーで注目され、地元ラジオ局でヘヴィープレイ。瞬く間に国内のレコードレーベルから彼らにオファーが殺到した。その後、国内でコンスタントにライヴ活動を行いつつ楽曲制作を続け、2004年4月にシングル「MOVIN' ON」で国内デビューを果す。またアルバム「12 TO GO」も2004年5月にベルギー国内で発売され、その年のTMFアワードにも出演。日本では2005年3月にアヴリル・ラヴィーンの「BONEZ TOUR」来日公演のオープニング・アクトも務め。(3/7広島公演、3/8福岡公演、3/11浜松公演、3/12神戸公演)1stアルバムを2005年4月5日に発売。2005年は年間50本以上のライブを敢行。後半はアメリカMTVの人気番組、「MTV ROAD RALLY」にも出演。現在はベルギー国内でライブ活動中。2ndアルバム「WHITELIES & BETTERFLIES」を4月6日に日本先行発売予定。
ZEBRAHEAD
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V田中秀基B/金子統昭 Dr/.秋満謙章G/井手大介Vo&G。それぞれフィールドを選ばず多岐に渡り活動していた4人が、2004年の春頃からジャムセッションを始めた。週1回のペースでスタジオに入り、秋頃からライヴ活動もスタートする。テクニカルと思われがちな演奏陣が織りなす意外な程ラフな演奏。直情的な響きの上に、日本語、英語を自由に行き来するボーカル。くらって頂きたい。
「ひたすらロック、余計なものは燃やしてしまえ!!!」